言葉 ( 講演録等 )
全国民暴対策協議会愛知セミナー
2004年7月2日
特別報告「ジャーナリストによる行政対象暴力の実態報告」
「遺族の悲憤、繰り返すな」鹿沼市職員殺害事件
記者 三浦一久
本日はこのような機会にお招きいただき、貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございます。
私は、栃木県の地方紙、下野新聞で記者をしております、三浦と申します。
栃木と名古屋は約500㌔離れておりますが、行政対象暴力、不当要求については自治体間の距離はありませんし、全国共通の問題でもあります。本日は、新聞記者という立場から、私が取材した前代未聞の行政対象暴力による殺人事件の実態をお話させていただきます。みなさんの同僚や家族が、ある日突然、勤務先からの帰り道に突然姿を消してしまったとしたら、みなさんの職場や家庭はどのような状況になるでしょうか。事件は、2001年の秋、帰宅途中の市職員がこつ然と失踪したことに端を発します。
【事件発生】
栃木県鹿沼市は、県都である宇都宮市に隣接する人口約9万5000人の、栃木県内では中規模の地方都市です。その鹿沼市で2001年10月31日午後5時半すぎ、市の一般廃棄物処理施設である「鹿沼市環境クリーンセンター」を所管する環境対策部の参事、小佐々守(こささ・まもる)さん=当時57歳=が、職場からわずか200メートルの路上で、こつ然と姿を消しました。翌朝、現場では小佐々さんの自転車やカバン、めがねなどが散乱しているのが見付かります。
小佐々さんに失踪する理由はなく、何らかの事件に巻き込まれた疑いが濃厚でした。小佐々さんは、外部との接触の機会の多い廃棄物行政を担当していたことから、職務上のトラブルが原因ではないかと、栃木県警が捜査に乗り出したのですが、事情を知っているはずの市職員はなぜか一様に口をつぐんでしまいました。事件は長期化しました。
【キーマン2人の自殺】
失踪から1年3ヶ月後の2003年2月、栃木県警は小佐々さんを拉致監禁したとして、実行犯グループ3人と仲介役の男を逮捕するとともに、首謀者の廃棄物処理業者=当時61歳=の逮捕状を取りました。業者は警察に出頭せず、「自分は関係ない」という趣旨の遺書を残して自殺しました。逮捕後、実行犯グループは「報酬目当てに小佐々さん殺害を請け負った」と自供します。首謀者の業者は、ごみ処理に関して厳しく行政指導する小佐々さんを逆恨みし、下請け業者を介して、暴力団関係者に殺害を依頼したのでした。こうして、事件は、行政対象暴力による過去に例のない殺人事件であることが明らかになったのです。
実行犯は、小佐々さんを9時間半にわたって監禁し、群馬県内の山中で首を絞めた上、拳銃で胸を撃って殺害し、近くに遺体を捨てたと供述しましたが、いまだに遺体は見付かっていません。いわゆる「遺体なき殺人」となっています。
職務をただ公正に進めていた行政マンが、なぜ殺されなければならなかったのでしょうか。業者は、鹿沼市から一般廃棄物処理業の許可を受けて、全国有数の廃棄物処理業者に成長していました。家庭などから出る一般ごみは、市町村が自前の施設で処理しているのが、一般的です。鹿沼市の幹部職員らは、業者に対してろくな審査もせずに許可を出し続け、便宜を図っていたのです。さらに業者は、産業廃棄物を一般廃棄物と偽って鹿沼市のごみ処理施設に搬入し、利ざやを稼ぐ「詐欺的行為」をしていました。しかし、小佐々さんの前任者の担当職員はそれを黙認していたのです。
この職員は、業者の自殺発覚から5日後に市役所の5階から身を投げ、後を追うように自殺しています。遺書には「役所のためにしたことであり、仕方がなかった」「組織には勝てない」などの言葉が残されていました。
【癒着の構図】
取材を続ける中で、事件の背景に、鹿沼市の幹部職員と業者との間で、長年にわたる癒着関係があったことが浮かび上がってきました。
業者は、歴代の市長に寄付や選挙応援をするなどして取り入り、その市長を支える主流派の市役所幹部たちに接近、さまざまな便宜を受けていました。職員の側は、業者の造った埼玉県内の温泉施設に招待されたり、飲食をともにするなど不適切な関係を続けてきました。この間、小佐々さんはクリーンセンターの所長に就任しましたが、業者の違法行為を厳しく監視したため、曽根社長と対立し、不自然な人事で廃棄物とは無関係な部署へ配転させられています。
自殺した小佐々さんの前任者は、その前任者や元担当幹部から業者を紹介され、関係を深めていました。癒着は「負のリレー」として、鹿沼市政の中で引き継がれていたのです。
【政治風土】
業者は市役所幹部だけでなく、国会議員や県議、市議ら政治家をうまく使って便宜を図ってもらおうとしました。使えるものはなんでも使えとばかりに、議員に接近を図り、口利きを依頼しました。これは、鹿沼市が政争を繰り返す不安定な政治土壌にあり、議員たちの微妙な力関係の上に市政が成り立っていたからです。業者は、その政治の風向きをうまく利用して「後ろ盾」を得、自分の立場をいつも有利な状況においていたのです。
しかし、10年近く続いた鹿沼市と業者との蜜月関係が、2000年の市長選で現市長が誕生したことで一変し、業者は便宜を受けられなくなりました。現市長が、小佐々さんを、再度、クリーンセンター所長に起用したのです。違法行為を黙認していた前任者とは打って変わって指導が厳しくなった小佐々さんに恨みを募らせた業者は、小佐々さんの自宅や市の三役のところに怒鳴り込み、便宜を継続するよう不当要求を繰り返しますが、はねつけられました。ついには、「邪魔者は消せ」とばかりに、殺人という手段を選びます。小佐々さんは、理不尽な行政対象暴力の最悪の形の犠牲者となってしまったのです。県警幹部は、私に「あれは殉職だ」とつぶやきました。
「政・官・業・暴」の密接な関係が生んだのが、今回の事件なのです。
【組織の病理】
この事件は、不当要求や行政対象暴力を考える上で大きな問題提起をしています。1つは、職員の敵は、あるいは事件の病巣は、市役所という組織の中にあったということです。
殺人を犯した実行犯や、首謀者の業者が悪いのは言うまでもありませんが、長年にわたって、公務員にあるまじき業者との癒着関係にあった市の幹部たち、またそれを黙認してきた組織の体質そのものが、事件を引き起こしたと言えると思います。不当要求をはねつけるべき役所内部が腐敗していては、事件を防ぐことはできません。
もう1つは、業者が職場へたびたび押しかけ、職員をどう喝していたにもかかわらず、応対していたのは事実上、担当の小佐々さん1人だけで、組織の中で孤立してしまったことです。「おれは三役とつながっている」「おれのごみにけちをつけるのか」。市役所上層部に取り入り、脅し文句で傍若無人に振る舞う業者の存在は、職員の間では周知の事実でした。公務員として当たり前の「法令順守」を貫こうとした小佐々さんは、孤立無援でした。 さらに、こうしたトラブルの報告はトップまで上がらず、市役所の組織としての対応がまったくできていませんでした。業者との対立が深まる中、小佐々さんは娘さんに「帰り道、へんな男がついてきたりしたら、すぐに近くの店に駆け込みなさい」と、家族の安全まで気にかけていましたが、市役所は、追い詰められていく小佐々さんを結果として見殺しにしてしまったとも言えます。
【教訓】
事件が残した教訓は、はっきりしています。まず、不当要求や行政対象暴力には、個人で対応させず、必ず組織で当たることです。情報が上層部までスムーズに上がり、関係部署間で連携が取れるよう、風通しをよくしておくことです。行政対象暴力には、毅然と対処することが必要ですが、職員1人だけが厳しく対処しても、それを行政が組織として守らなければ、職員個人が標的になってしまいます。
そのためには職員の意識も変えなければなりません。鹿沼事件のケースでは、周囲の職員の「事なかれ意識」が、曽根社長を増長させていったとも言えます。前例踏襲やその場しのぎの無責任な対応は、不当な要求をしてくるものに付け入るすきを与えてしまいます。
さらに、警察との連携もポイントになります。エスカレートする不当要求に対し、職場だけで解決をしようとするのは、おのずと限界があります。鹿沼市のケースでは、市役所内の問題が表面化することや報復を恐れて、職員が事件捜査にも十分に協力をしないという状況もありました。内部の恥が外に出るのを恐れていては、傷が深くなるばかりです。
こうした教訓を、小佐々さんは尊い犠牲となって、あらためて私たちに教えてくれました。事件前、栃木県内では不当要求対策要綱や委員会の整備が1市しかなかったのですが、事件後、県全体の9割にあたる45自治体が整備しました。栃木県警も、不当要求に関する県内全自治体との連絡ネットワークを構築し、自治体との情報共有化を図っています。鹿沼市は2004年度から内部告発者を保護するための「公益通報条例」を施行し、外部監査制度導入や市4役の倫理条例の制定など、教訓を生かしてコンプライアンス(法令順守)の取り組みを強化しました。
しかし、残念ながら2004年3月、栃木県小山市の広域行政事務組合のごみ処理場で、暴力団幹部によるごみ不正搬入事件が起きました。職員は、組員の刺青を恐れて、違法
なごみ処理を黙認していたのです。同じ栃木県内でも、こうしたことが繰り返されてしまう状況です。問題の根は深いといわざるを得ません。
きょうお話しした内容は、「断たれた正義 なぜ職員は殺された・鹿沼事件を追う」というタイトルで8カ月間にわたり、下野新聞紙上に長期連載いたしました。ホームページhttp://www.shimotsuke.co.jpに掲載/されていますので、ご一読いただければ幸いです。
最後に、私が本日、この場に立つに当たり、小佐々さんの奥様からメッセージを預かってまいりました。行政対象暴力によって家族を失ったものの悲しみ、無念さがつまったメッセージです。何より、奥様の言葉をみなさんに聞いていただきたいと思います。
【遺族の手記】
いつも隣に居るのが当たり前と思っていた人が、ある日突然、私の前から消えてしまいました。姿すら目にすることもなく、殺害されたと伝えられても、「はい、わかりました」と納得できるものでしょうか。できることなら、もう一度だけでも、懐かしいかすれた声を聴きたい…。せめてもう一度だけでも…。ビデオに映る夫の声ではなく、生の声を聴くことができたら、どんなに幸せかと思います。でも、不可能なのです。
昨年、死亡届を市役所に提出してから、まもなく1年が経ちます。初公判を終え、夫の死が確実なものと理解し始めた頃、私は危難失踪宣告の申し立てをしました。夫の定年退職となるはずだった平成16年3月末までに、なんとしてでも皆さんに見送っていただきたいと考えたからです。仕事の上で奪われた命なので、市職員の身分があるうちにと、こだわっていました。
事件発生の翌朝、現場を見た私は「あーっ、やられちゃった」と心の中でつぶやいていました。クリーンセンター内の職員の皆さんも直感的にただならぬものを感じたようでした。ところが、私のもとを訪れた警察官は事の重大性が全く分からないらしく、焦るばかりの私に「借金は? 健康状態は? 悩み事は?」 挙げ句の果てには「どこかに女でもいたんじゃないですか」と、あまりにも腹立たしいことを質問するばかりです。
仕事上での事件と確信していた私は、職員が事情を説明してくだされば、何とか早く夫は帰って来るのではないかと思っていました。ところが、捜査員の皆さんは、ため息まじりに「難しい事件です」とおっしゃるばかりでした。何もかも分かっているはずの職員の皆さんが、口を閉ざしてしまいました。まるで、かん口令が出されているような感じでした。事の成り行きが十分分かっていただけに、あらゆる影響を考えて何も口にすることができなくなってしまったのかもしれません。
業者は職員の勤務中に事務所に怒鳴り込んだり、抗議を繰り返していたわけですから、トラブルに関しては周知の事実でした。市役所という組織として夫を守ってほしかったと、悔しいが増すばかりです。
夫は物事をはっきり言うタイプの人でした。適当にすませる事はあまりしませんでした。どちらかというと几帳面で、あまり灰色の部分を作りたがらず、白黒はっきりさせる性格で、手抜きすることを極力嫌がりました。この性格が事件では災いしたのかもしれません。融通が利かないと言われれば、それまでなのです。ただ公務員としての筋を通したかったのだと思います。
今回の事件は鹿沼市の職員や市民が常に感じていながらも、絶対に口にすることができなかった闇の部分が出てきてしまったような気がします。時の権力者の絶大な後ろ盾があったばかりに、一部職員が公務員のあるべき姿を忘れ、行政にゆがみが生じ、その最大の犠牲者が夫だったような気がしてならないのです。
定年前に他人の手によって人生の幕を下ろされてしまった夫の悔しさ、無念さを思うと、犯行にかかわった人物を決して許すことはできません。私どものような家族の苦しみ、悲しみを二度と繰り返してはなりませんし、夫の犠牲が何らかの形で行政に生かされてほしいと願ってやみません。
本日、ご来場のみなさんが、この言葉を胸に刻んでいただけることを祈念し、報告の結びとさせていただきます。 ご静聴ありがとうございました。